たっぷりの雪を頂いた富士山が
この冬一番きれいだと思えた事が
兎にも角にも嬉しかった
この日
富士山が大好きだった父の
告別式でした
父らしい演出みたいと思いつつ
40年前に支度してくれた喪服に
丁寧に半襟を縫い付けました
私が実家と行き来する間に
糸さんが仕付け糸を外してくれて
父の葬儀に初めて袖を通します
(義父は夏に逝きましたので)
棚経を上げて頂いてからも
家の者はとてもとても忙しく
気持ちの休まる間も無いようです
その一方で
弔問の方の対応をするつもりが
なんとも手持無沙汰な私は
実家で父の書いた物など
久しぶりに読んだりしていました
この一文に納得しました |
父の声が重なるようでした
「現在の死は、生活の基盤であったその
屋根の下では迎えられず、(略)
人生最後の幾日かは、己の意思の働き難い位置で
(略)手を尽くされ止まる。
それが本人にとって、どれほどの価値があろうか」
人生一貫してそうだった様に
最期まで思い通りにできた人です
あんなに元気だったのに
あっさりと旅立ってしまいましたが
不思議と辛くはないです
皆で心を尽くして
父の好みにかなうような
いいお見送りが出来ました
お留守番の糸さんが撮影した可愛いショット |
いつもなら迷わず
クリーニングに出す足袋と半襟
手洗いしてアイロン掛けしました
しみじみ心が穏やかです
こうした嗜みというか心の持ちようを
父が好む気がするというだけなのですが
亡くなってしまったからこそ
こんな風に思うのですね
(来年は3日で再来年は4日ですが)
澄み渡った空と雪の富士山
梅が綻ぶ美しいこの季節
毎年 父を偲ぶのかな
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